改訂新版 世界大百科事典 「猨田彦大神」の意味・わかりやすい解説
猨田彦大神 (さるたひこのおおかみ)
記紀神話に登場する神の名。瓊瓊杵(ににぎ)命が葦原中国(あしはらのなかつくに)の統治者として天降(あまくだ)ろうとしたとき(天孫降臨神話),天の八衢(やちまた)で一行を待ち伏せる異形の神がいた。一説には異様に長い鼻,丈高き背,赤く輝く目をもつ(《日本書紀》)という。シャーマン的能力をもつ天鈿女(あめのうずめ)命が問いただすと,名はサルタヒコで天孫を案内するため参上したことがあきらかになった。天孫降臨の後アメノウズメに送られてサルタヒコは伊勢に帰る。以上の功によりアメノウズメの裔(すえ)は猿女君(さるめのきみ)(猿女氏)と呼ばれることになったと伝える。後にサルタヒコが伊勢の海でヒラブ貝に手をはさまれて溺れかかった話がつけ加えられている。
サルタヒコの名義には諸説あるが,もともと猿女君に属する神なのでそう呼ばれたまでであろう。猿女,猿楽などの〈猿〉は〈戯(さ)る〉で,猿女とは宮廷神事の滑稽なわざを演ずる俳優(わざおぎ)を意味した。やがて芸能化していく狂態まじりの滑稽なわざは,元来呪的儀礼で演じられ,自然の活力を回復させる働きをしていた。サルタヒコの巨大な鼻も,豊饒儀礼につきものの男性のシンボルの説話的変形かもしれない。上記両神のかかわる話をみると,彼らは伊勢土豪の首長で兄妹関係にあり,一族を共治していたが,アメノウズメは服属のしるしとして召しあげられ,シャーマン的な能力をもって宮廷神事に仕えたものらしいことがわかる。サルタヒコが天孫を迎えに参上したのも服属のしるしであり,滑稽なしぐさをおもわせるヒラブ貝の話は,伊勢の海人族の服属儀礼の説話化であろう。
執筆者:倉塚 曄子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報