改訂新版 世界大百科事典 「猿猫論争」の意味・わかりやすい解説
猿猫論争 (さるねころんそう)
中世のヒンドゥー教で起こった神の恩寵kṛpāをめぐる論争の一つ。南インド出身のラーマーヌジャ(1017-1137)を開祖とするビシュヌ教の一派シュリーバイシュナバ派は,13世紀ころ,救済の道としてバクティ(信愛)を強調する北方のバダガライVaḍagalai派と,ひたすら神に身を投げ出すプラパッティprapattiを強調する南方のテンガライTeṅgalai派とに分裂した。
バダガライ派は,比較的伝統に忠実で,サンスクリットで著作し,神に救済されるためには信仰とそれにもとづく実践とによって功徳を積めば,それに応じて神は恩寵を与える。ちょうど,子猿は,母猿によって運ばれ,保護されるが,しかし自分の方から母猿にしがみつかなければならぬのと同様であるといって,〈猿理論markaṭa-nyāya〉を主張した。他方,テンガライ派は,アールワールたちの影響をより強く受け,いっそう民衆的で,多くはタミル語を使用し,人々は神に対する信仰のみによって救われると説き,プラパッティのみをすすめた。ちょうど,子猫が運ばれるときには,母猫がくわえるのであって,子猫は何もせず,まったく受身であるように,といって〈猫理論mārjāra-nyāya〉を唱えた。この派によれば,バクティの要求する実践は非常な努力と能力が必要であって,一般大衆の及ぶところではないが,プラパッティはカースト等に関係なく,万人に開かれている,という。
執筆者:前田 専学
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報