アールワール
Āḷvār
7世紀ころから南インド,とくにタミル地方のビシュヌ派の一つであるシュリーバイシュナバ派Śrīvaiṣṇavaの形成に絶大な影響を与えた一群の宗教家たちのことで,〈神を直証する人〉を原義とする。ティルマンガイ,ナンマールバールなど12人を数えるが,中でもナンマールワールが有名である。彼らはビシュヌ派の諸寺院をめぐり,献身的な信愛(バクティ)の念にあふれたタミル語の詩を吟唱する神秘主義的な宗教詩人で,みずからの宗教的情感の高まりの中で,ビシュヌ神像の前でエクスタシーに陥り,気を失って倒れることがしばしばであったという。彼らはきわめて平等主義的であり,男女・貴賤の区別をいっさい無視し,あらゆる人々に教えを説いた。また,彼らの中には不可触民の出自の人も何人かいたといわれている。ナンマールワールの詩にも見られるように,彼らはみずからを夫(ビシュヌ)にいまだ触れられたことのない妻になぞらえることを好み,その切々とした愛と愛ゆえの悲しみの中にあたかも狂うがごとき神への衝動を表白している。彼らの詩は10~11世紀ころに《ナーラーイラ・ディブヤ・プラバンダム》(四千詩節集,伝ナーダムニ編)というかたちで集成された。アールワールたちのかもし出した熱烈な一神教的雰囲気を背景に,やがてヤームナムニ,ラーマーヌジャなどの学匠(アーチャーリヤ)たちがシュリーバイシュナバ派の神学体系を確立した。
執筆者:宮元 啓一
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アールワール
Āḷvār
南インドのタミル地方で7~10世紀に活躍した,ビシュヌ神を崇拝する一連の吟遊詩人たち。彼らは各地の神殿を巡礼し,ビシュヌ神像の目を見つめて恍惚状態に陥った。主としてタミル語で詩をつくり,カースト外の人々をも教化した。彼らはシュリー・バイシュナバ派の師と仰がれた。 12名のアールワールの名が知られるが,そのなかでも,ティルマンカイ Tirumaṇkaiとナムマールワール Nammāḷvārとが最大の詩人として有名。アーンダール Āṇḍālは女性のアールワールであった。のちに『ナーラーイラ・プラバンダム』 Nālāyira Prabandhamが編纂され,現在に伝わっている。
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アールワール
あーるわーる
Ālvār
インドのビシュヌ教徒によって尊崇される12人の聖者(うち女性1人)の総称。タミル語の動詞語根アール(沈む)の意味により、「神の瞑想(めいそう)に自らを沈めた者」の意と解される。主として南インドで活動した吟遊詩人たちで、個々の年代は不詳。代表的人物であるナンマールワールは8世紀ごろ活動したと推定される。彼らはビシュヌ神を、叙事詩『ラーマーヤナ』の英雄ラーマ王子や、神話的人物である牧童クリシュナと同一視し、神に対する信愛と絶対的帰依の心を熱烈にうたい上げ、忘我の境地において神と合一しようとした。彼らの詩は、タミル語の詩集『ナーラーイラディビヤプラバンダム』(四千聖詩集)に収められており、「タミル語のベーダ聖典」として尊ばれている。
[松本照敬]
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世界大百科事典(旧版)内のアールワールの言及
【インド文学】より
… 多数の近代語による文学が並存するインドにおける注目すべき特徴は,諸文学相互の影響関係である。古くは,タミル文学のアールワール(神秘的賛歌の吟唱者たち)の作品に盛られた思想と熱情が,バクティの運動の大きなうねりをおこして,北インドの諸文学のバクティ文学の形成に大きな刺激を与えたことがあり,19世紀の事例では,外界に接することの多いベンガル文学とマラーティー文学が新しい思潮と文芸を他に伝えた。このような影響・伝播は,時代が下るにつれて顕著となり,今日では民間の努力と政府(国立文学アカデミー,各州機関)の支援とにより,民族文学のすぐれた作品が他の民族語に翻訳され,一民族の作品を多くの民族が享受する機会が多くなってきている。…
【バクティ】より
…バクティは,とくに南インドのビシュヌ派諸派の間で重要視された。寺から寺へ渡り歩き,バクティにあふれた宗教詩を神像の前で歌い上げた,[アールワール]と呼ばれる神秘主義的詩人たちの言説は,やがて神学的に整備され,[ラーマーヌジャ]によって一応の哲学的な完成を見た。彼によれば,個我が解脱するためにはバクティがなければならない。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」