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玄宥 げんゆう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

玄宥 げんゆう

1529-1605 戦国-江戸時代前期の僧。
享禄(きょうろく)2年生まれ。真言宗。紀伊(きい)根来(ねごろ)寺(和歌山県)で智積(ちしゃく)院の日秀にまなび,天正(てんしょう)5年その跡をつぐ。13年豊臣秀吉の焼き討ちで根来をはなれる。慶長5年徳川家康の助力で京都に智積院を再興,智山派の祖とよばれる。慶長10年10月4日死去。77歳。下野(しもつけ)(栃木県)出身。俗姓は膝付(ひざつき)。字(あざな)は尭性。

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世界大百科事典内の玄宥の言及

【新義真言宗】より

…頼瑜は加持身教主説を提唱して教学上の新風をうちたて,新義真言宗興隆の基礎を築いた。その後,根来寺は大いに繁栄したものの,1585年(天正13)豊臣秀吉の兵火のために灰燼(かいじん)に帰し,難を避けた妙音院専誉(1530‐1604),智積院玄宥(げんゆう)(1529‐1605)は,長谷寺,智積院をそれぞれ再興し,新義真言宗中興の祖となった。【山陰 加春夫】。…

【智積院】より

…すなわち,根来寺は1585年(天正13)豊臣秀吉により全山が焼討ちにあった。根来大伝法院内学頭坊の能化(のうげ)(住持)だった玄宥は,根来再興を徳川家康に願い出で,秀吉没後の1600年(慶長5),家康から豊国社の坊舎の一部と寺領200石を与えられ,現在地に再興した。これが智積院であり,玄宥は同院中興とされる。…

【根来寺】より

…ことに僧兵を擁して威勢強く,近隣の戦国大名とも戦ったが,1585年(天正13)豊臣秀吉の焼討ちにあい,伽藍はほとんど壊滅した。このとき学頭の専誉(せんよ)は長谷寺に入り(豊山(ぶざん)派),玄宥(げんゆう)は京都に智積(ちしやく)院を建て(智山派),それぞれ法灯を継いだ。1623年(元和9)紀州藩主徳川頼宣(よりのぶ)は250石を寄進し,1707年(宝永4)護持院の隆光は将軍綱吉の許可を得て伽藍の修造を図り,97年(寛政9)蓮華院の法住によって大伝法堂再建意趣が作成され,1824年(文政7)完成した。…

※「玄宥」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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