玄朝(読み)げんちょう

改訂新版 世界大百科事典 「玄朝」の意味・わかりやすい解説

玄朝 (げんちょう)

10世紀末(平安中期)に活躍した画僧生没年不詳。源朝とも書く。《東大寺要録》(1106)によれば,南都元興寺の住僧であり,987年(永延1)東大寺大仏殿繡曼荼羅(ぬいまんだら)の修補にたずさわり,地神を描いたという。大江親通の《七大寺日記》(1106),《七大寺巡礼私記》(1140)の元興寺の条には金堂の厨子内の浮彫十二神将は玄朝の図像に基づいて制作されたものと記されている。興福寺に現存する板彫十二神将がこれに当たると考えられる。また醍醐寺蔵《不動明王図像》の中に不動明王頭部と2童子を描いた白描図像があり,これは玄朝筆の図像を鎌倉時代に筆写したものと推測されている。この白描図像との関連で青蓮院蔵《不動明王二童子像》を玄朝の制作になるとする説もある。以上のことから玄朝は不動明王や十二神将などの躍動的な像を描くのを得意とし,広く後世にまで知られた絵仏師であることがわかる。
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朝日日本歴史人物事典 「玄朝」の解説

玄朝

生年:生没年不詳
平安中期,奈良地方で活躍した絵仏師。源朝とも書く。東大寺大仏殿にあった繍曼荼羅が永延1(987)年に破損した際,元興寺の玄朝が修理に当たったとの記述が『東大寺要録』にみえる。また『七大寺日記』は当時元興寺金堂にあった半肉彫十二神将像が源朝の「絵様」(図案)であると記しているが,興福寺に現存する板彫像がこれに当たるとみられる。確実な作品は残っていないが,不動明王を描く 白描図像のいくつかにその名が残る。特に図中に「飛鳥寺玄朝筆」の書き入れのある不動の頭部と童子を描いたもの(醍醐寺蔵)は,有名な青蓮院「不動明王二童子像」(青不動,現存)に酷似するなど,不動画像の一典型となった。

(矢島新)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「玄朝」の意味・わかりやすい解説

玄朝
げんちょう

平安時代中期の絵仏師。永延1 (987) 年東大寺大仏殿の繍曼荼羅を修補したときに,院政とともに地神を描いた。また醍醐寺蔵の『不動二童子図像』は玄朝筆といわれ,当時すでに著名な絵仏師であったことが知られる。青蓮院蔵の『青不動』は玄朝様の図像に基づいた不動明王像という説がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「玄朝」の解説

玄朝 げんちょう

?-? 平安時代中期の画僧。
奈良元興(がんごう)寺の僧。永延元年(987)東大寺大仏殿の繍曼荼羅(しゅうまんだら)の地神像を修理したといわれる。不動明王や十二神将などの躍動的な像を得意としたという。源朝,玄超ともかく。

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