日本歴史地名大系 「玉垣村」の解説
玉垣村
たまがきむら
江戸時代を通じて津藩領であったが、神宮との間に古くから行われていた糀調進が続いていたので、御厨の名を使用している。その起源はわからないが、一時中絶していたのが再興されたのは明和九年(一七七二)で、守秀長官日次記(神宮文庫蔵)同年六月四日条には、神宮政所への「乍恐言上」として「北伊勢河曲郡玉垣村糀室之儀は従往古玉垣御厨之糀と申、太神宮三祭礼ニ調進之仕候、此儀は於当国玉垣・中万・垂坂是を伊勢之三糀と称来」ったもので、他所では許されないこと、これより六月・九月・一二月の祭礼に糀五升ずつ、年間計一斗五升を献上することを約している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報