玉堂宗条(読み)ぎょくどう そうじょう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「玉堂宗条」の解説

玉堂宗条 ぎょくどう-そうじょう

1480-1561 戦国時代の僧。
文明12年生まれ。美濃(みの)(岐阜県)の人。休翁宗万(きゅうおう-そうまん)の法をつぎ,京都の臨済宗(りんざいしゅう)大徳寺の住持となる。大内義隆の招きで周防(すおう)(山口県)竜福寺にうつり,天文(てんぶん)20年義隆の自刃(じじん)に際し,後年「玉堂肩衝(かたつき)」とよばれる大名物(おおめいぶつ)茶入れをもって豊後(ぶんご)(大分県)大友氏のもとにのがれた。永禄(えいろく)4年1月17日死去。82歳。諡号(しごう)は仏徳大輝禅師。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典 「玉堂宗条」の解説

玉堂宗条

没年:永禄4.1.17(1561.2.1)
生年:文明13(1481)
戦国時代の臨済宗の僧。諡号は仏徳大輝禅師。美濃(岐阜県)の人。休翁宗万に参じて法嗣となり,大内氏の外護の下,師の後を継いで周防(山口県)竜福寺の住持となった。のち上京し,天文5(1536)年閏10月6日に大徳寺の第92世となった。文筆に優れ墨跡を多く残し,また茶人との交流もあった。なお,水戸徳川家に伝わる大名物の唐物茶入れ「玉堂肩衝」は,はじめ大内義隆より玉堂に寄進されたものであったとのいい伝えによりこの名がある。

(石井清純)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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