日本歴史地名大系 「玉島新田村」の解説 玉島新田村たましましんでんむら 岡山県:倉敷市旧玉島市地区玉島新田村[現在地名]倉敷市玉島・玉島一―三丁目・玉島阿賀崎(たましまあがさき)一丁目・玉島中央町(たましまちゆうおうちよう)一―三丁目・玉島上成(たましまうわなり)長尾(ながお)村の南、西高梁(にしたかはし)川河口の右岸に位置する。往古は小島の一つであったと思われ、一説では「万葉集」巻一五の天平八年(七三六)の遣新羅使らの「ぬばたまの夜は明けぬらし多麻の浦に求食する鶴鳴き渡るなり」「多麻の浦の沖つ白珠拾へれどまたそ置きつる見る人を無み」は、当地を詠んだものとされる。備中松山藩主水谷氏によって開発された新田の一つで、万治二年(一六五九)の完成、水谷氏断絶後幕府領となり、元禄八年(一六九五)に検地が行われた(「備中誌」など)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by