玉川郷(読み)たまがわごう

日本歴史地名大系 「玉川郷」の解説

玉川郷
たまがわごう

[現在地名]玉川村玉川

現村域の南東端、外秩父そとちちぶ山地の東縁に位置し、東部の一部は岩殿いわどの丘陵にかかる。地内には都幾とき川の河岸段丘が発達している。天正一八年(一五九〇)五月日に前田利家が地内光明こうみよう寺に出した禁制(光明寺文書)には「妙覚郷光明寺」とあり、この頃当地は妙覚みようかく郷に属していたと推定される。徳川家康の関東入部後、当地には代官陣屋(玉川陣屋)が設けられた。慶長年中(一五九六―一六一五)には、陣屋の南、根際ねぎわ地区に町割がなされ、対岸一ト市ひといちと合わせて三・九の日の六斎市が立ち、周辺一帯(玉川領とよぶ)の政治・経済の拠点となっていたが、天和―貞享期(一六八一―八八)頃から陣屋の機能は縮小、一八世紀の初めには廃止となり、市立ても行われなくなった。田園簿によれば田高一五三石余・畑高三六四石余、幕府領。紙舟役永五〇文が課せられていた。陣屋所在地であったためか、高室喜三郎・諸星庄兵衛の二人の支配代官が記される。元禄郷帳では高九一七石余、国立史料館本元禄郷帳では旗本内藤領および地内春日社(現春日神社)領。「風土記稿」成立時には内藤・安藤の旗本二家と幕府領の相給。本検地は寛文八年(一六六八)に代官曾根五郎左衛門によって行われ、三ヵ所あった持添新田の検地は元文五年(一七四〇)に芝村藤右衛門、明和五年(一七六八)に宮村孫右衛門、文化六年(一八〇九)に浅岡彦四郎の各代官が実施。


玉川郷
たまがわごう

和名抄」高山寺本・東急本ともに訓を欠く。大住おおすみ日向ひなた山に源流をもち、愛甲郡の南部を東流して相模川に合流する玉川に由来する郷名。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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