日本大百科全書(ニッポニカ) 「王党派」の意味・わかりやすい解説
王党派
おうとうは
Royalists
イギリスのピューリタン革命における国王支持派。騎士党(キャバリアーズCavaliers)ともいう。1641年、「大諫議書(だいかんぎしょ)」の採択をめぐって長期議会が分裂した結果、王党派と議会派とが形成された。王党派には、北西部を地盤とする貴族、大土地所有者が多かったといわれ、彼らはチャールズ1世の甥(おい)ルパートRupert王子などを中心として内戦を戦ったが敗北し、その多くが土地や財産を没収された。しかし、王党派はその後エドワード・ハイドEdward Hyde(後のクラレンドン伯)を中心として大陸亡命中のチャールズ2世のもとに集まり、再起のときを待った。そしてクロムウェル独裁下で議会派内部の対立が深まると、ハイドは反クロムウェル派との和解を進め、王政復古の準備を整えた。王政復古ののち、王党派を中心として「騎士(キャバリアー)議会」が開かれたが、内戦中に失った財産を回復できずに没落した者も多かった。(書籍版 1985年)
[小泉 徹]