瓦谷村(読み)かわらやむら

日本歴史地名大系 「瓦谷村」の解説

瓦谷村
かわらやむら

[現在地名]八郷町瓦谷

恋瀬こいせ川上流にあり、西は小塙こばな村・宇治会うじえ村、東は部原へばら村。村名の由来は常陸国分寺・同尼寺(現石岡市)の瓦類を製造した工人たちの瓦屋(集落)が付近にあったことにちなむといわれる。弘安大田文に北郡として「瓦屋七丁二段小」とある。江戸時代は寛文四年(一六六四)以降牛久藩領で、元禄郷帳の村高は八五四石余、幕末は牛久藩領分一千一三四石余(各村旧高簿)

真言宗豊山派の常明山雲照うんしよう(本尊不動明王)は応永二三年(一四一六)了慶の開山と伝え、初め芦穂あしほ地内に建立されたが、天文年間(一五三二―五五)焼失


瓦谷村
かわらだにむら

[現在地名]岩国市大字瓦谷

北は日宛ひなた(現玖珂郡美和町)、東は阿品あじな守内しゆうち、西は行波ゆかば杭名くいななどの諸村に接し、村域は広いが大部分山地で、集落は、その山地から流れ出た阿品川がにしき川と合流する辺りに集まる。守内村と同じく、村域はおもに錦川北岸であるが、南岸にもまたがる。寛永二〇年(一六四三)河内こうち郷を分割してできた村で、慶安四年(一六五一)の「御領分村一紙」に村名が出る。

村名は河原谷という地形によるものと思われる。慶安四年の村高は八六石余、うち田方二石余、畑方二七石余、残り五五石余は楮高が占め、紙漉で成り立つ村であったことが知れる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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