日本歴史地名大系 「甘棠院」の解説
甘棠院
かんとういん
永安山と号する。臨済宗円覚寺派の寺院。本尊は釈迦如来。第二代古河公方であった足利政氏が、永正一六年(一五一九)隠居地として久喜館に寺を建て、出家して住職をしていたが(法名道長)、のち弟(あるいは子)の貞巌昌永を招請して開山とした(延宝九年「甘棠院由緒書上」甘棠院文書)。山号は鎌倉公方二代足利氏満の法名をとり、院号は政氏の法名をとったものである。政氏は享禄四年(一五三一)七月一八日没した。開山の貞巌は元亀三年(一五七二)没したという(風土記稿)。天文一七年(一五四八)に客殿・庫裏など残らず焼失し、翌年再建している(前掲由緒書上)。永禄三年(一五六〇)五月政氏の孫で第四代古河公方であった足利晴氏が没し、六月一二日に甘棠院で葬儀を執行うことになっている(六月二日「龍正休庵書状」鑁阿寺文書など)。同一二年から元亀二年の越相同盟下、甲斐の武田信玄は頻繁に北武蔵に兵を出して小田原北条氏と戦うが、同年六月一二日、武田氏は寺中における軍勢の濫防狼藉を停止している(「武田家高札」甘棠院文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報