日本歴史地名大系 「生城跡」の解説 生城跡ひうじようあと 新潟県:小千谷市生村生城跡[現在地名]小千谷市生 城山国鉄小千谷駅の東背、城(じよう)山(二九八メートル)にある中世の山城。関東へ通じる三国街道の隘路と柏崎や高田(たかだ)(現上越市)方面へ分岐する渡船場を見下ろす要害の地。中央の本丸跡から四方の尾根に曲輪が構築されている。付近に深さ九―一三尺の土窟が一〇余個あり、城に付属した隠れ場所と考えられる。蔵屋敷(くらやしき)と称する場所からは現在も焼米や蕎麦などが出る。付近に殿入沢(とのいりざわ)・城殿川(じようどのがわ)・城町(じようまち)・高立(たかだて)・上殿(かみどの)などの地名があり、城下町が展開していたことを思わせる。城主は上杉氏の将大楽氏と伝承される。「温古之栞」には、大永三年(一五二三)に居城とし、天文二一年(一五五二)に時水(ときみず)城主曾根氏を攻め落したと伝え、御館の乱には上杉景虎に味方して滅びたという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by