日本大百科全書(ニッポニカ) 「生実藩」の意味・わかりやすい解説
生実藩
おいみはん
下総(しもうさ)国生実(千葉市)に藩庁を置いた譜代(ふだい)小藩。藩主森川氏。藩祖重俊(しげとし)は寛永(かんえい)年間(1624~44)下総・上総(かずさ)(千葉県)、相模(さがみ)(神奈川県)のうちで1万石を領し生実を居所とした。重俊は1628年(寛永5)から32年にかけて老中の職にあり、32年徳川秀忠(ひでただ)が死ぬとこれに殉じた。重俊のあと重政、重信、俊胤(としたね)(若年寄)、俊常(としつね)(大番頭(おおばんがしら))、俊令(としのり)、俊孝、俊知(としとも)(西丸若年寄)、俊民(若年寄)、俊位(としひら)、俊徳(としのり)、俊方と12代、約250年にわたり在封した。1871年(明治4)俊方のとき廃藩となり、生実の地は生実県、印旛(いんば)県を経て、73年千葉県に編入された。
[川村 優]
『『千葉県史料 近代篇 明治初期 一』(1968・千葉県)』