生馬村(読み)いくまむら

日本歴史地名大系 「生馬村」の解説

生馬村
いくまむら

[現在地名]上富田町生馬

北は朝来あつそ村と岩田いわた村、南は保呂ほろ(現白浜町)と境を接し、村の西部を富田川が西南に向かって流れ、西流してきた生馬川が流れ込む。両川の沖積地に開かれた村で、小名山王さんのうは富田川左岸保呂村との境に、救馬谷すくまだには飛地で朝来村岩田村との間に位置し、生馬谷は生馬川に沿い谷深く民家が多く散在し、「続風土記」は「本村に優れり」と記す。平見ひらみ遺跡から縄文式土器・石鏃が出土し、山王からは弥生式土器が出土し、古墳も発見されている。

治承二年(一一七八)閏六月二一日付造日前国懸宮役請文案(書陵部蔵壬生家古文書)にみえる「生馬堅田三柄寺領」に含まれたと考えられ、領家の「三柄寺」は、白鳳時代に創建され鎌倉時代まで続いた三栖みす(跡地は現田辺市)と推定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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