20世紀日本人名事典 「田中仙樵」の解説
田中 仙樵
タナカ センショウ
- 生年
- 明治8年9月3日(1875年)
- 没年
- 昭和35(1960)年10月6日
- 出生地
- 京都府福知山市
- 本名
- 田中 鼎(タナカ カナエ)
- 別名
- 号=三徳庵,宗鼎,仁山,玄妙斎,知水亭
- 学歴〔年〕
- 同志社,明治法律学校
- 経歴
- 16歳の時京都に出て、18歳の時、裏千家前田瑞雲の内弟子に入った。明治31年高台寺玉雲院に住み、大日本茶道学会を設立、「茶道学誌」を発刊、茶道の近代化を提唱した。34年上京し明治法律学校に入学。42年大日本茶道学会本部を東京に移し、大正4年渋谷祥雲寺で第1回講習会を開いて流儀の超越、家元制度の不要を説いた。宗鼎、三徳庵、仁山、玄妙斎、知水亭など号を変え、煎茶、南画、能、篆刻にも通じ、奇術もよくした。四谷左門町に長く住んで多くの門弟を育てた。著書に「田中仙樵全集」(全8巻)がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報