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田中藤六 たなかとうろく

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防府市歴史用語集の解説

田中藤六

 江戸時代中頃の製塩不況を三八替持法[さんぱちかえもちほう]という生産調整方法を提案して、製塩業を救った人です。鶴浜[つるはま]で製塩業をしており、豊後屋[ぶんごや]と呼ばれていました。製塩業を救った功績で、三田尻浜大会所[みたじりはまおおがいしょ]の初代大年寄[おおどしより]になっています。

出典|ほうふWeb歴史館
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

田中藤六 たなか-とうろく

?-1777 江戸時代中期の塩業家。
周防(すおう)(山口県)三田尻(みたじり)の鶴浜(つるはま)の人。塩の価格暴落に際し,明和8年操業時期を3月から8月までに短縮し,生産を調整する三八替持法を提案。のち瀬戸内沿岸10ヵ国の製塩家間で生産時期調整の協定が実現し,価格は安定した。安永6年8月12日死去。名は康之。屋号は豊後屋。

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朝日日本歴史人物事典の解説

田中藤六

没年:安永6.8.12(1777.9.13)
生年:生年不詳
江戸中・後期,瀬戸内塩業の操業短縮提唱者。名は康之,号は白和。周防国佐波郡佐野村(防府市)の農家に生まれる。農業を弟に託して製塩業に転じ,宝暦・明和期(1751~72)新開の三田尻鶴浜に移り,豊後屋と称した。当時瀬戸内西部では塩の生産過剰,塩価下落の不況が続いていた。藤六はこの打開策として明和8(1771)年休浜・替持法を打ち出した。休浜とは3月から8月まで採鹹し秋冬を休業すること(通称「三八法」),替持とは塩田を2分して1日おきに交互に採鹹することである。すでに宝暦年間(1751~64)に瀬戸田浜の三原屋貞右衛門により「二九の法」休浜法が唱えられ,安芸,備後,伊予で実施されたが,10年ほどでこのときの休浜盟約は崩れている。藤六は藩を説得して,まず防長2国を説き翌年より実施し,生産費節減と生産減量によって塩業を好転させ,さらに安芸,備後,伊予,のちに播磨,阿波,備前,讃岐,備中を加えた瀬戸内10州に休浜を盟約させた(十州休浜同盟)。藩はその功を賞し苗字帯刀大庄屋格を与えた。盟約は断続しながらも明治23(1890)年まで続いた。<参考文献>秋良貞臣『煮海私記』

(廣山堯道)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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