日本歴史地名大系 「田代浜」の解説
田代浜
たしろはま
正保郷帳に田六貫四五〇文・畑四貫四〇一文とあり、ほかに同所新田二〇文が記される。「牡鹿郡万御改書上」によれば、元禄年間(一六八八―一七〇四)東西一一町一〇間、南北一九町二〇間で、田六貫四九八文・畑四貫六一〇文、茶畑一五七文、海上高は牡鹿半島西岸諸浜中最高の一三貫一九五文が記され、人頭七五人、人数男五七三・女四一〇とあり、弐戸田在家東西一五間、南北二町八間、大泊在家東西一町四間、南北三二間がある。「封内風土記」の戸数は一三五。同書に「弐戸田諸廻船御札有」とみえる藩内屈指の船主平塚氏は代々八太夫を襲名。肝入を勤めるとともに千石積―二千石積大型穀船、および商荷船を所有。当初は江戸廻米に従事したが、のちには水戸藩御用達となって蝦夷地・樺太・沿海州から台湾・マニラ方面にまで船脚を伸ばし、慶応二年(一八六六)仙台藩から四人扶持・苗字帯刀・麻上下御免の士分待遇を受けた(石巻市史)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報