日本歴史地名大系 「田内村」の解説 田内村たうちむら 鳥取県:倉吉市田内村[現在地名]倉吉市巌城(いわき)・見日町(みるかちよう)・東巌城町(ひがしいわきちよう)・東昭和町(ひがししようわまち)下田中(しもたなか)村の北に位置する。集落は小鴨(おがも)川左岸、仏石(ぶつせき)山(五八メートル)の北麓に位置するが、耕地は対岸にも展開する。同川は村域の北部で右岸に竹田(たけだ)川を合せ天神川となる。仏石山頂には南北朝期の伯耆守護山名時氏による築城と伝える田内城跡がある。また小鴨川・竹田川合流点の下流には江北(えきた)村(現北条町)などを潤す用水の取水口今津(いまづ)堰がある。拝領高は二〇一石余。倉吉荒尾氏の給地があった(給人所付帳)。寛政年間(一七八九―一八〇一)の久米郡御通筋厘付帳(県立博物館蔵)では本田高四二七石余(うち畑高八石余)、永荒一〇五石余を引いた残高に新開高六二石余(請免二ツ七分八厘)を加え今高三八五石余、物成一五九石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by