青森県北東部に斧状に突出する半島。北は津軽海峡を隔てて北海道亀田半島に対し,西は平舘海峡をはさんで津軽半島と対する。半島の頭部は奥羽山脈の延長の恐山(おそれざん)山地で,西側は500~700mの断層崖となっており,崖下には海食作用をうけた凝灰岩の岩礁が並ぶ仏ヶ浦の名勝となっている。山地の中央には恐山があり,カルデラ湖(宇曾利山湖)を形成している。半島頭部と南北に長い柄の部分の間に田名部低地があり,その中心にむつ市の市街地が広がっている。半島の北東端は尻屋崎,北西端は大間崎である。野辺地から大湊までは大湊線が通じる。大間から函館へはフェリーが就航し,半島北東端は函館の商圏の影響が強い。脇野沢から津軽半島蟹田へはフェリー(冬季休業)がある。
気候は冷涼で,冬季は積雪があり,夏季は冷たい偏東風(やませ)の影響が強い。このため農業,とりわけ米作はあまりふるわず,古くから畜産が導入され,第2次世界大戦前は半島東部は馬産地として知られた。戦後は乳牛,肉牛が飼育され,飼料作物も栽培されている。山地は,藩政期からヒバ材の産地で知られる。津軽海峡にのぞむ大畑はイカ漁が盛ん。陸奥湾の支湾大湊湾にのぞむ大湊港は第2次世界大戦前は軍港として栄え,1969年以後は原子力船〈むつ〉の母港化で問題となった。半島南部のむつ小川原地区は,1969年の新全国総合開発計画の大規模工業開発地区に指定されたが,工業の立地は進展していない。恐山,薬研(やげん)温泉,西海岸一帯や大間崎,尻屋崎は下北半島国定公園に指定されており,ニホンザル生息の北限としても知られる。下北半島は,近世に日本海を経て来航した廻船がもたらした上方文化の終着地であった。その文化の影響は,佐井村に伝わる歌舞伎〈御芝居座〉や,東通村を中心に行われる山伏神楽系統の獅子舞などに色濃く残っている。
執筆者:横山 弘
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本州の北端、青森県北東部に斧(おの)の形をして突出する半島。北は津軽海峡、東は太平洋に臨み、南西部に陸奥湾(むつわん)を抱く。半島北西端の大間崎(おおまざき)は本州の最北端にあたる。半島中央部、斧の頭部をなすところが恐山山地(おそれざんさんち)で、奥羽山脈の延長部である。山地の西側は500~700メートルの断層崖(だんそうがい)で、崖下には海食作用を受けた凝灰岩の岩礁が点在し、仏ヶ浦(ほとけがうら)の名勝をつくっている。恐山山地の中心は恐山火山で、中央にカルデラ湖の宇曽利山(うそりやま)湖があり、大尽(おおづくし)山などの外輪山で囲まれている。半島の東部、斧の柄の部分は下北丘陵からなる。地形的には北上山地と奥羽山脈の間の低地をなしている。恐山山地と下北丘陵の間は田名部低地(たなぶていち)で、低地の南部にむつ市の市街地がある。
下北半島は県内で気候条件のもっとも恵まれない地域で、冬は気温が低く(2月の平均気温零下4℃)、晩春から初夏にかけては冷たい偏東風のやませが吹く。産業面でもみるべきものがなく、交通もバスに依存するが、道路の整備も十分ではない。
[横山 弘]
『九学会連合下北調査委員会編『下北(自然・文化・社会)』(1967・平凡社)』
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…逆に寒地植物のヒメワタスゲ,カラフトイチヤクソウなどは青森県が南限である。動物ではニホンザル生育地の北限が下北半島山地部にある。なお,日本の生物分布上の境界線の一つといわれているブラキストン線が津軽海峡を通っている。…
※「下北半島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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