朝日日本歴史人物事典 「田村仁左衛門」の解説
田村仁左衛門
生年:寛政2.10.10(1790.11.16)
幕末・明治初期の篤農家。名は吉茂。下野国河内郡下蒲生村(栃木県上三川町)名主の長男。読み書き算盤の稽古は苦手であったが,「農業は寝てもさめても怠ることはなかった」という。31歳のとき家督を継ぎ,天保10(1839)年に50歳で隠居するまで家業の農事に打ち込み,実験的観察をもとに独自の農法を工夫した。隠居後,その経験に基づき農業技術,農業経営,農家教訓に関する著書を多数執筆した。なかでも天保12年に著した『農業自得』は少年時に猪の害で苗代が荒らされた体験から発見した水稲の薄播き・薄植えによる播種量の適正化や畑作物の輪作の工夫が平田篤胤に高い評価を受け出版された。<参考文献>『栃木県史/史料編』近世8,長倉保・稲葉光国「『農業自得』ほか解題」(『日本農書全集』21巻)
(阿部昭)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報