田村魚菜(読み)タムラ ギョサイ

20世紀日本人名事典 「田村魚菜」の解説

田村 魚菜
タムラ ギョサイ

昭和期の料理研究家 魚菜学園理事長;自由ケ丘お料理学校長;魚菜社長。



生年
大正3(1914)年11月23日

没年
平成3(1991)年3月25日

出生地
静岡県伊東市宇佐美

学歴〔年〕
宇佐美高小〔昭和5年〕卒

主な受賞名〔年〕
勲四等瑞宝章〔昭和63年〕

経歴
父親は漁師。小学校を出て東京の魚屋丁稚奉公。のち東京・京橋のかっぽう・つたやに弟子入りし、日本料理を学ぶ。昭和24年自由ケ丘お料理学校設立、30年魚菜学園へと発展。32年NHK「きょうの料理」初代講師。38年からは月刊誌「魚菜園」も主宰テレビ朝日「アフタヌーンショー」の料理教室に出演、わかりやすく、実用的な家庭料理で人気者となる。料理とは“手塩にかけること”“物を大事にすること”がモットー晩年持病糖尿病の体験から、患者のための講習会を開いた。著書に2500種の料理を盛り込んだ「料理大辞典」、自伝「海」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田村魚菜」の解説

田村魚菜 たむら-ぎょさい

1914-1991 昭和時代の料理研究家。
大正3年11月23日生まれ。四条流石井泰次郎,本山荻舟(てきしゅう)に師事。昭和24年自由ヶ丘お料理塾を開設,30年魚菜学園を創設した。テレビの料理番組に出演して人気をえる。平成3年3月25日死去。76歳。静岡県出身。本名宗吉

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「田村魚菜」の解説

田村 魚菜 (たむら ぎょさい)

生年月日:1914年11月23日
昭和時代の料理研究家。魚菜学園理事長;魚菜社長
1991年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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