田津原村(読み)たづはらむら

日本歴史地名大系 「田津原村」の解説

田津原村
たづはらむら

[現在地名]海南市重根しこね

伏山ふしやま村の南、北流する日方ひかた川の谷に沿う山間の村。名草なくさ郡に属し、西は大谷おおたに村。東は山地を挟んで東畑ひがしばた村に、南は谷奥の別所べつしよ村に接する。「続風土記」によれば「村中浄福寺慶安四年の鰐口の銘に田津村とあり」とあって、田津村とも称したという。重禰しこね郷に含まれた地で、天文一〇年(一五四一)一二月一八日の刑部左衛門尉藪地売渡状(亀井家文書)に「重禰田津原津助殿」とみえる。慶長検地高目録では重根村のうちに含まれ、天保郷帳も同様であるが、「続風土記」は田津原村として高二一七・九五八石、家数二九、人数一〇九、小祠二社(山王社・里神社)を記す。

田津原村
たつぱらむら

[現在地名]旭町田津原

矢作川の支流段戸だんど川に沿い、東から南は現北設楽きたしたら稲武いなぶ町、西は坪崎つぼさき村、北は牛地うしじ村に接する。集落は谷地形の山麓点在。段戸川右岸に沿い現県道笹戸―稲武線が通る。田津原城跡が山の突出した尾根上にあり、じようとよぶ。寛永一二年(一六三五)当時、成瀬伊豆守領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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