日本歴史地名大系 「田端町」の解説 田端町たばたちよう 三重県:上野市上野城下田端町[現在地名]上野市田端町農人(のうにん)町の南、東は裏(うら)町に接し、大部分が田と畑のみの農人住居地だが、度々伊賀加判奉行を勤めた水上久太夫下屋敷、野崎新平下屋敷などもあった。延宝(一六七三―八一)頃の家数二六(統集懐録)。当町の氏神阿野(あの)神社については不詳。「三国地志」の山田(やまだ)郡の項に「按、阿野ハ今上野ノ東南字野畠ノ地ナリ、古ハ郡ノ西界ニシテ、今阿拝郡ニ属ス」とある。この「古ハ」の時代は、上中下の友生(ともの)村が山田郡に属した時代で、天喜四年(一〇五六)二月二三日の藤原実遠所領譲状案(東南院文書)の時代は友生三ヵ村は伊賀郡に属しているので、それ以後のことであろう。 田端町たばたちよう 北海道:網走支庁北見市田端町昭和二七年(一九五二)に設定された。南西は朝日(あさひ)町。北西はJR石北(せきほく)本線、北東は東六号、南西は東五号で限られ、南東境を常呂(ところ)川がほぼ北へ流れる。南東端で小石(こいし)川が同川に合流する。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by