甲子村
かつしむら
[現在地名]釜石市甲子町・
小佐野町一―四丁目・
桜木町一―二丁目・
小川町一―五丁目・
新町 甲子川の上・中流に位置し、釜石街道が同川沿いに東西に通る。同川は小川川が流入する辺りから下流を大渡川ともよぶ。北・西・南の三方はいずれも山嶺で、栗林村・橋野村、細越村・佐比内村(現遠野市)、気仙郡上有住村(現住田町)、同郡唐丹村などと境し、わずかに東方釜石村との間に小平地が開けているにすぎない。華厳院法印泰堂補遺(阿曾沼興廃記)に「釜石甲子浦平田是一村也」、また「雑書」慶安三年(一六五〇)八月二六日条には「釜石甲地新町立」とあって、もとは釜石村のうちの山間部の谷をさした地名であったとされる。ただし村の説話では干支の第一甲子に由来するという。
米作はほとんどなく、元文五年(一七四〇)の年貢皆済目録(野田文書)に高一八六石余、米四〇石余、引合三ツ一分八厘九毛、一口米一石四斗余、二口〆五七駄二斗余、この代金五七両、砂金一匁五分九厘五毛とあって、金目高であったことが知られる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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