日本大百科全書(ニッポニカ) 「町人道」の意味・わかりやすい解説
町人道
ちょうにんどう
近世幕藩体制下では武士が道徳的優越者であり、農工商のうちとりわけ町人は、営利追求のみを目的とする下等な存在という賤商(せんしょう)観が通念であった。しかし、経済活動が活発となり、社会的実力をもち始めた町人の間に、独自の生き方を町人道として自覚する思想がおこった。その自覚はまず商取引における正しい行為の仕方と町人の家業の尊重と精励、すなわち正直、信用、倹約、勤勉などの諸徳の重視や義理・人情の尊重となって現れる。さらに進んで、町人はその職業の社会的役割の意義を踏まえて、社会的身分の制約を超えた1人の人間としての価値を自覚し、それは広く学問への関心と教育の重要性についての認識をもよび、ひいては武士的形式的道徳への批判ともなった。西鶴(さいかく)や近松(ちかまつ)の文学活動や伊藤仁斎(じんさい)の堀川(ほりかわ)学派や懐徳(かいとく)堂を中心とする町人学者の活動や石田梅岩(ばいがん)の石門心学(せきもんしんがく)運動、また多数の町人教訓書に町人道の自覚をみうる。
[今井 淳]
『石田一良著『町人文化』(1961・至文堂)』▽『今井淳著『近世日本庶民社会の倫理思想』(1966・理想社)』▽『高尾一彦著『近世の庶民文化』(1968・岩波書店)』▽『宮本又次著『町人社会の人間群像』(1982・ぺりかん社)』▽『源了圓著『義理と人情』(中公新書)』