町居村(読み)まちいむら

日本歴史地名大系 「町居村」の解説

町居村
まちいむら

[現在地名]富来町町居

草木くさぎ村の東、日用ひよう川の上流域にある。地内松尾まつお神社の永和元年(一三七五)の宝殿造立棟札に氏子として町居村がみえる。同社の旧社僧松尾寺所蔵の永禄二年(一五五九)八月二九日銘の松尾社本地薬師如来懸仏に「村松法印権大僧都快専」とあり、また万治三年(一六六〇)の松尾大明神小刀・旗寄進札(松尾神社蔵)に「村松村 松尾寺」と記され、当村を村松むらまつ村ともいったようである。ちなみに貞応三年(一二二四)一〇月一日の熊来庄立券状案(尾沢文書)に「村松里」がみえ、「能登志徴」はこれを当村にあてる。

町居村
まちいむら

[現在地名]大津市葛川町居町かつらがわまちいちよう

ぼう村の北、安曇あど川上流の葛川谷にあり、若狭街道沿いの安曇川西岸に集落がある。元徳三年(一三三一)九月の明王院所当并散在年貢注文(葛川明王院史料)の応永二七年(一四二〇)一一月二八日の加筆に「待井」とみえる。元亀二年(一五七一)明王みようおう院本堂の舞台普請役として「待居」は人夫三二人を負担している(四月二七日「舞台普請日記」同書)。寛永石高帳に村名がみえ、高六三石余で幕府領

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報