朝日日本歴史人物事典 「町田久成」の解説
町田久成
生年:天保9.1.2(1838.1.27)
明治期の文政家。島津氏門族で薩摩国(鹿児島県)石谷城主町田久長の長男。通称民部,石谷と号す。変名上野良太郎。江戸昌平黌に学び,帰藩後大目付,藩開成所掛。慶応1(1865)年,森有礼ら藩留学生を率いて渡英。滞欧中,博物館事業に注目する。帰国後参与,外国官判事,外務大丞などを歴任。明治4(1871)年文部大丞に転出し,もっぱら博覧会事務に携わる。同6年大英博物館などをモデルにした大博物館構想を唱え建設地を上野山内にすべく建議。同9年にはわが国最初の内務省博物館長に任命されるが,6年後に突如罷免されたことに衝撃を覚え,同22年官を辞して仏門に入った。三井寺光浄院住職として余生を送る。古美術の鑑識に長じ,余技に観音像などを好んで描いたという。<参考文献>一新朋秀「町田久成の生涯と博物館」(『博物館学年報』18,19号)
(犬塚孝明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報