日本大百科全書(ニッポニカ) 「ビッカース」の意味・わかりやすい解説
ビッカース
びっかーす
Vickers plc
イギリスにあった大手重工業グループの名称。軍需産業から出発して、イギリスを代表する重工業会社となったが、21世紀に入って解体されて、正式社名は消滅した。
1828年、工作機械工のエドワード・ビッカースEdward Vickers(1804―1897)と、彼の義父で金属加工業を営むジョージ・ネイラーGeorge Naylor(1769―1851)がシェフィールドに設立した鋳物工場、ネイラー・ビッカース・アンド・カンパニーNaylor Vickers and Companyに起源をもつ。早くも1836年にはニューヨークに営業部門が設立された。1854年にエドワードの息子のトーマスThomas Vickers(1833―1915)とアルバートAlbert Vickers(1838―1919)が経営に参画するころから同社の発展の基盤が築かれた。1867年には株式を公募してビッカース・サンズVickers Sons & Co., Ltd.と改称し、造船、兵器の製造を行った。20世紀に入ってから、航空機や戦車の生産に進出し、海外戦略も積極的に展開した。1907年には、北海道炭礦(たんこう)汽船および火器メーカーとして名高いアームストロング・ホイットワース社Sir W. G. Armstrong Whitworth & Co Ltd.とともに日本製鋼所を設立し、日英合弁の兵器鉄鋼会社に参画した。なお、アームストロング・ホイットワース社は、1897年にアームストロング・ミッチェル社Armstrong Mitchell(1882年設立)とジョセフ・ホイットワース社Joseph Whitworth & Co.(1874年設立)が合併して誕生した総合機械メーカーであった。前身の二つの会社はいずれも銃器製造で名をはせていたが、合併後は、武器以外に、航空機、蒸気機関車、造船、自動車などの製造を行っていた。1927年にはアームストロング・ホイットワース社の経営危機を契機に合併してビッカース・アームストロング社Vickers-Armstrongs Ltd.となり、世界最大の兵器会社となった。第二次世界大戦では、戦闘機スピットファイアや戦車、軍艦を生産した。1965年、社名をビッカースに変更。1967年に鉄鋼部門、1977年に造船と航空機部門が国有化された。
ビッカースは1980年にロールス・ロイス社Rolls-Royce plcの自動車部門であるロールス・ロイス・モーターカーズ社Rolls-Royce Motor Cars Ltd.を買収し、1990年には乗用車やレーシング・カー用のエンジン・メーカーであるコスワースCosworth Engineering社を傘下に収め、自動車製造で売上げを伸ばした。しかし1998年、ロールス・ロイス・モーターカーズをコスワースとともにドイツのフォルクスワーゲン社に売却し、重工業部門に事業を集約することになった。
その後ビッカースは、事業を海洋・船舶分野、タービン・エンジン分野、防衛関連分野の三つに絞り込んで経営の立て直しを図ったが、業績は低迷したままであった。1999年9月、ロールス・ロイスは株式を50%以上増資してビッカース株の買取りを提案、ビッカース経営陣もこれを受け入れて、ロールス・ロイス傘下グループの一つとして再出発することになった。ロールス・ロイスに吸収される前の1998年の各分野の売上高の比率は、海洋・船舶分野28.8%、タービン・エンジン分野20.7%、防衛関連分野49.8%で、売上高は6億9200万ポンド、従業員数約1万人であった。
2002年ロールス・ロイスはビッカースの軍事部門をアルビス社Alvis plcに売却し、後者は社名をアルビス・ビッカース社Alvis Vickers plcに変更した。しかし、同社は2004年にBAEシステムズ社BAE Systems plcに売却されたため、ビッカースVickersの名前が消えた。またロールス・ロイス傘下のその他のビッカースの事業は2003年にビンタースVintersと名称を変更している。このようにして、由緒ある「ビッカース」の正式社名は歴史から消えることになった。
[湯沢 威・上川孝夫]
『奈倉文二・横井勝彦編著『日英兵器産業史――武器移転の経済史的研究』(2005・日本経済評論社)』