日本歴史地名大系 「畑町」の解説
畑町
はたまち
能代町の中央部、東に
享保七年(一七二二)の能代町絵図(能代市役所蔵)に「畑谷町」とあり、同一三年の能代町絵図(能代市役所蔵)には「畑町」とある。「代邑聞見録」には延宝年間(一六七三―八一)の建置とあるが、「旧記抜書之ケ条」(三輪家文書)の寛文八年(一六六八)に「畑町初ル」とある。享保一五年の「六郡郡邑記」では家数九七軒。同一三年の能代町絵図によれば、畑町の北端に
文化年間(一八〇四―一八)の能代町絵図(県立秋田図書館蔵)によると、畑町の総長は二二〇間で、畑町南端の枡形から柳町へ下りる坂道まで四八間余、そこから
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報