留岡清男(読み)トメオカ キヨオ

20世紀日本人名事典 「留岡清男」の解説

留岡 清男
トメオカ キヨオ

昭和期の教育者,教育学者 元・北海道家庭学校校長;元・北海道大学教授。



生年
明治31(1898)年9月16日

没年
昭和52(1977)年2月3日

出生地
東京府北豊島郡巣鴨(現・東京都豊島区)

学歴〔年〕
東京帝大文学部哲学科〔昭和12年〕卒

経歴
社会事業家・留岡幸助の四男。東京農業大学、法政大学教授となったが、昭和4年父の病気で非行少年更生施設・北海道家庭学校を継ぎ、教育農場を運営。一段落の後、8年から城戸幡太郎に協力、雑誌「教育」を創刊、12年教育科学研究会を設立した。17年に大政翼賛会青年部副部長、翼賛青年団理事、18年日本出版会理事などを務めたが、戦後、家庭学校に復帰、校長、理事長に就任した。一方、27〜37年北海道大学教育学部教授、46〜47年北星学園女子短大学長、旭川大学教授などを歴任。北海道家庭学校は50年度社会福祉賞を受けた。著書に「生活教育論」「村づくりと人」「教育農場五十年」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「留岡清男」の解説

留岡清男 とめおか-きよお

1898-1977 昭和時代の教育学者。
明治31年9月16日生まれ。留岡幸助の4男。留岡幸男の弟。法大勤務ののち,昭和4年から非行少年の更生施設北海道家庭学校を運営。8年城戸幡太郎(きど-まんたろう)らと雑誌「教育」を創刊し,12年教育科学研究会を創立。戦後は北海道家庭学校校長,理事長。27年北大教授,のち北星学園女子短大学長。昭和52年2月3日死去。78歳。東京出身。東京帝大卒。著作に「生活教育論」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「留岡清男」の解説

留岡 清男 (とめおか きよお)

生年月日:1898年9月16日
昭和時代の教育者;教育学者。北海道家庭学校校長;北海道大学教授
1977年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の留岡清男の言及

【留岡幸助】より

…社会事業家。備中高梁出身。神の前には士族も町人も平等と教えるキリスト教に感動し,1882年入信。88年同志社卒業,伝道に従事。91年北海道空知集治監教誨師(きようかいし)として監獄改良にとりくみ,アメリカ留学後,99年巣鴨に家庭学校,1914年北海道紋別郡遠軽村にその分校を設立し,独自の少年感化教育を行った。雑誌《人道》(1905‐32)を刊行して社会問題を論じ,内務省嘱託として地方改良事業,報徳思想の普及に努めた。…

※「留岡清男」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android