出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
明治から昭和初期の社会事業家。備中(びっちゅう)国(岡山県)に生まれる。18歳でキリスト教の洗礼を受ける。同志社英学校(同志社大学の前身)卒業後、伝道に従事する。1891年(明治24)北海道空知(そらち)監獄の教誨師(きょうかいし)となり、囚人の実態を知り、犯罪の根源を絶つための感化事業、とくに少年教護を志す。そのため、アメリカ留学を経て、1899年東京・巣鴨(すがも)に家庭学校を創立、非行少年の感化に努めた。また、1908年(明治41)には中央慈善協会を創立し幹事となるなど、近代日本の社会事業の基礎をつくった。とくに家庭学校は、その後、北海道などにも分校が設けられ、二男の清男(きよお)(1898―1977)に受け継がれた。
[岡田洋司]
『同志社大学人文科学研究所編『留岡幸助著作集』全5巻(1978~1981・同朋舎出版)』▽『高瀬善夫著『一路白頭ニ到ル――留岡幸助の生涯』(岩波新書)』
社会事業家。備中高梁出身。神の前には士族も町人も平等と教えるキリスト教に感動し,1882年入信。88年同志社卒業,伝道に従事。91年北海道空知集治監教誨師(きようかいし)として監獄改良にとりくみ,アメリカ留学後,99年巣鴨に家庭学校,1914年北海道紋別郡遠軽村にその分校を設立し,独自の少年感化教育を行った。雑誌《人道》(1905-32)を刊行して社会問題を論じ,内務省嘱託として地方改良事業,報徳思想の普及に努めた。なお次男の清男(1898-1977)は教育学者で,父の後を継いで家庭学校を経営,37年教育科学研究会創立を推進し,《生活教育論》《教育農場五十年》等の著書がある。
執筆者:土肥 昭夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…なお,武蔵野学院には,教護事業職員養成所が付設されている。1883年,池上雪枝が大阪市に神道祈禱所を設け,そこで不良少年の保護に着手したのが,日本における感化院的施設の最初であり,留岡幸助が東京巣鴨に家庭学校(北海道家庭学校の前身)を創設したのは99年である。1890年の感化法により,感化院の設置が府県の義務とされ,府県立感化院が相次いで設けられるとともに,私立施設も増加した。…
…明治初期にはカトリック系の奥浦慈恵院,プロテスタント系の岡山孤児院,仏教系の福田(ふくでん)会育児院などの宗教的背景の強い育児施設が設立されている。産業革命の時期にあたる1899年には,前年に日本の慈善事業の古典といわれる《慈善問題》を著した留岡幸助によって,不良少年を対象とする家庭学校が東京巣鴨に設けられた。このほか日本においても社会問題の発生とともに数多くの慈善施設・団体が設立されるが,これらは前出の中央慈善協会や国庫奨励金・助成金の交付などによって行政的な規制を受けつつ,やがて大正デモクラシーのもとで民間社会事業と呼ばれるものに移行することになるのである。…
…74年の制定以来,1932年まで半世紀以上も続いた〈恤救(じゆつきゆう)規則〉は13歳以下の極貧孤児に対し,1年につき米7斗を支給するという制度を盛り込んでいた。 明治年間,少年保護施設や育児施設が設立され始めたが,代表的な育児施設としては石井十次による岡山孤児院(1887)があり,民間感化院としては,留岡幸助による家庭学校(1899)があった。カトリックに基づく施設としては,横浜慈仁堂(1872),浦上養育院(1874),函館聖保禄女学校(1878)等がある。…
※「留岡幸助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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