畠山高国(読み)はたけやまたかくに

改訂新版 世界大百科事典 「畠山高国」の意味・わかりやすい解説

畠山高国 (はたけやまたかくに)
生没年:1305-51(嘉元3-正平6・観応2)

南北朝時代武将系図は時国の子とするが疑問。1335年(建武2)中先代の乱鎮定に向かう足利尊氏に従い,その後も足利方に属し南朝を攻撃,翌年伊勢守護に補任されるが,短期間で罷免される。45年奥州管領に補任された嫡子国氏とともに多賀国府に赴く。観応擾乱が勃発すると尊氏を支持するが,直義方の奥州管領吉良貞家に攻められ岩切城で自害した。
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関連語 鳥居

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「畠山高国」の解説

畠山高国 はたけやま-たかくに

1305-1351 南北朝時代の武将。
嘉元(かげん)3年生まれ。足利尊氏にしたがい,伊勢(いせ)守護となって南朝方とたたかう。嫡子国氏が尊氏方の奥州管領となると,ともに多賀国府におもむいた。観応(かんのう)の擾乱(じょうらん)で足利直義(ただよし)方の管領吉良貞家に攻められ,観応2=正平(しょうへい)6年2月12日自害。47歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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