登り街道(読み)のぼりかいどう

日本歴史地名大系 「登り街道」の解説

登り街道
のぼりかいどう

八戸城下の南西端の上組かみくみ町を起点とし、市野沢いちのさわ(現三戸郡南郷村)観音林かんのんばやし(現岩手県九戸郡軽米町)を経て福岡ふくおか(現岩手県二戸市)に至る街道。上り街道とも記す。現在の国道三四〇号がほぼこのルートにあたる。文久年間(一八六一―六四)八戸御城下略図に「登り街道」とある。雑書の承応二年(一六五三)四月四日条によれば道筋改として福岡から八戸まで役人が派遣されており、この頃から街道として整備が始まり、寛文四年(一六六四)八戸藩が創設され、同藩主参勤交代往来に利用されるに及び、登り街道と称されるようになった。

城下から市野沢までの里程は三里半、市野沢から観音林までは三里、観音林から福岡までは二里二九丁である(嘉永二年「道中記」八戸市立図書館蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報