登野城村(読み)とうぬすくむら

日本歴史地名大系 「登野城村」の解説

登野城村
とうぬすくむら

[現在地名]石垣登野城とのしろ

四箇しいか村の東端に位置する。トゥヌスクとよぶ。南は美崎みしやぎい泊に臨み、北は名蔵のーら川中流域に及ぶ南北に細長い村域を有する。美崎泊は石垣いしやなぎい泊ともいわれ、貢納物を集積する八重山三湊の一つであった。弘治一三年(一五〇〇)のオヤケアカハチ事件で首里王府軍の一隊は登野城から進攻したといい(「球陽」尚真王二四年条)、浜近くには長田大主の妹真乙姥が王府軍の那覇への無事帰還を祈願したという美崎みしやぎい御嶽がある。同御嶽は王府・蔵元と関係の深い別格の御嶽として公儀くーぎ御嶽ともいわれた。集落は村域南端にあり、古くは東からミユトゥパカ、ナリトウナリカサナリトゥノパカ、ナカヌパカ、ウヤキドウムリィカニムルパカ、キチィパカの五つのハカに区分されていたという。八重山歌謡では「あがろうざ」や「あかるざ節」に東里あがるざ対語として当村が謡われている。東里と登野城村の真ん中の九年母の木の下で子守たちが寄集まり、腕を痛め肘を痛めて抱いた子だから、出世して沖縄島へ行ってすばらしい着物を買ってきておくれと呼びかけていたという内容のウタである。また「くんのーらぬぶなれーま」などには古見くん(現竹富町)からの貢納を積んだ船が着く場所として「みしゃぎの前」が、宿をとる場所として「うらの前」が謡われている。「みしゃぎの前」とは美崎御嶽南方の美崎泊のことで、「うらぬ前」とは当村にあった蔵元の前のことである。「みしゃぎの前」は「みさぎまいじらば」では「ゆるぬ外」(砂洲の外)が対語になっている。美崎にはスラバ(造船所)があり、「二月じらば」にはそれを「みしゃぎぃくむる」(美崎小堀)と謡っている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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