白旗村(読み)しらはたむら

日本歴史地名大系 「白旗村」の解説

白旗村
しらはたむら

[現在地名]黒羽町余瀬よぜ

湯坂ゆざか川が南東へ流れ、白旗丘陵を隔てて西は北金丸きたかねまる(現大田原市)、東は余瀬村。村名は天喜四年(一〇五六)源頼義の奥州攻めの際、白旗を翻して軍兵を集めたのにちなみ、その丘は白旗山、西側を白旗宿、東側を寄瀬よぜ宿と称するようになったともいう。天正一八年(一五九〇)大関氏が豊臣秀吉から安堵された所領のうちに「白旗」があり、「辻」とともで一二四石九斗八升(「黒羽藩領知高書上」宇都宮大学附属図書館蔵)

白旗村
しらはたむら

[現在地名]神奈川区白幡しらはた町・白幡〈かみ町・なか町・西にし町・ひがし町・みなみ町・むかい町〉

東海道の北の山寄りにあり、南は神奈川宿、東は東子安ひがしこやす村・西子安にしこやす村・新宿しんじゆく村、西と北は篠原しのはら(現港北区)に接する。白幡村とも記される。

近世は幕府直轄領。正保国絵図に村名がみえる。元禄八年(一六九五)安藤重博により検地を受ける。寛永一一年(一六三四)年貢割付状(県史六)によれば、田一六町六反余、畑一二町三反余で、年貢の合計は米二七石二斗余、永三貫五三八文であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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