日本歴史地名大系 「白木城跡」の解説 白木城跡しらきじようあと 愛媛県:東宇和郡野村町野村白木城跡[現在地名]野村町野村野村の町の北方、富野(とみの)川・片(かた)川・宇和川に囲まれた要害堅固の山城。南麓の古市(ふるいち)から急坂を登り、標高三五七メートルの山頂の平坦面が城跡である。南北に延びる平坦な尾根は三段に区切られ、その間に空堀らしき跡もあり、周囲は絶壁となっている。「宇和旧記」は、「野村白木城主は、宇都宮左近尉乗綱と云人なり、白木落城以後、梅林と云禅門になられ、野村に被居之由、岡屋敷と云所に墓所有り」とし、また「清良記」を引用して、「野村領主白木左近太夫元氏、旗頭西園寺殿縁者になる由、其子白木図書と云と有り」ともいう。 白木城跡しらきじようあと 三重県:亀山市白木村白木城跡[現在地名]亀山市白木町 岡垣内白木町の東部、下白木の城山(しもじらきのしろやま)が砦跡に比定される。長さ二〇間、横一八間の古屋敷跡が残り、「九九五集」は「往古白木村之地侍、白木殿ト申侍此所ニ住居之由、名不知レ、関殿籏下之由」と記すが、現在四〇メートル四方の平坦地の西と南に幅約三メートル、高さ約一・五メートルの土塁がみられる。「伊勢峯軍記」によれば、白木氏は峯氏の重臣中に列記され、永享年間(一四二九―四一)に名のみえる白木左近は、関氏別家の支流で峯氏の同族であったらしい。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by