白砂村(読み)しらさごむら

日本歴史地名大系 「白砂村」の解説

白砂村
しらさごむら

[現在地名]湯来町白砂、廿日市はつかいちはら

葛原つづらばら村の西に位置し南に鷹巣たかのす(六四六・九メートル)、北に阿弥陀あみだ山がある。中央を八幡やわた(河内川)源流となる小川が流れ、その谷々に集落が展開する。天文一〇年(一五四一)七月五日付の大内義隆下文(厳島文書御判物帖)に「白砂」、同二三年六月一一日付の毛利元就同隆元連署書状(「閥閲録」所収熊谷帯刀家文書)に「白沙」、「森脇覚書」の同二三年の記事に「白迫」などとみえ、元和五年(一六一九)の安芸国知行帳は「白坂村」と記す。なお弘治四年(一五五八)六月一日付の毛利隆元判物(「閥閲録」所収粟屋勘兵衛家文書)に「山里白砂」とあり、戦国末期には山里やまざと諸郷の内に属していた。

前記天文一〇年の大内義隆下文によれば、厳島外宮(現廿日市町の地御前神社)の朔幣料田として当地が寄進されている。同二三年一〇月一六日付の児玉就忠書状(「閥閲録」所収羽多野源兵衛家文書)に、「白砂百姓中くしまへてきれをなし候て、てき五人討捕候、寔津田・とも田よりしらさこへ可相動候と存候、けふりたち候ハヽ則白砂へ可有御合力候」とあり、この辺り一帯も陶方に従って毛利氏に反抗した山里一揆の戦場となったことが知れる。


白砂村
しらすなむら

[現在地名]平内町白砂

東と北は陸奥湾、南はたき村、西は田沢たざわ村に接する。海岸の砂が白砂なので、もと白須しらす村と称していたという。鎮守山祇やまつみ神社の創建が元禄三年(一六九〇)というから、その頃からあった村と考えられるが、天保郷帳の村高がわずかに〇・九石という貧弱さである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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