日本歴史地名大系 「白砂村」の解説
白砂村
しらさごむら
前記天文一〇年の大内義隆下文によれば、厳島外宮(現廿日市町の地御前神社)の朔幣料田として当地が寄進されている。同二三年一〇月一六日付の児玉就忠書状(「閥閲録」所収羽多野源兵衛家文書)に、「白砂百姓中くしまへてきれをなし候て、てき五人討捕候、寔津田・とも田よりしらさこへ可相動候と存候、けふりたち候ハヽ則白砂へ可有御合力候」とあり、この辺り一帯も陶方に従って毛利氏に反抗した山里一揆の戦場となったことが知れる。
白砂村
しらすなむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報