百済大寺(読み)クダラオオデラ

デジタル大辞泉 「百済大寺」の意味・読み・例文・類語

くだら‐おおでら〔‐おほでら〕【百済大寺】

大安寺だいあんじ

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「百済大寺」の解説

百済大寺
くだらのおおでら

大和十市とおいち郡にあったとされる古代寺院。「日本書紀」には舒明天皇一一年に百済宮とともに大寺が建立されたとあり、同年一二月、百済川のほとりに九重塔が建てられたとある。「三代実録」元慶四年(八八〇)一〇月二〇日条には、十市郡百済川辺の田一町七段一六〇歩と、高市たかいち夜部やべ村の田一〇町七段二五〇歩を大安だいあん(現奈良市)に返入する記事があり、大安寺三綱牒に示されていた寺の沿革を載せている。「昔日、聖徳太子創建平群郡熊凝道場、飛鳥岡本天皇遷建十市郡百済川辺、施入封三百戸、号曰百済大寺、子部大神在寺近側、含怨屡焼堂塔、天武天皇遷立高市郡夜部村、号曰高市大官寺、施入封七百戸、和銅元年遷都平城、聖武天皇降 詔、預律師道慈、令遷造平城、号大安寺」とあり、所在地については現奈良県橿原市法花寺ほつけいじ町字西百済・東百済付近、同県広陵町百済、同県明日香村の奥山久米おくやまくめ寺に比定する説がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の百済大寺の言及

【飛鳥美術】より


[舒明・皇極朝]
 舒明朝には百済の使いが急激に増加し,百済との修好は活発化した。639年斑鳩宮に近い百済川のほとりの熊凝(くまごり)精舎の地に,百済大寺造営の詔があり,12月には九重の塔が建立された(紀)。仏教に対してなるべく中立的態度をとりつづけた天皇は,舒明天皇にいたって天皇建立の寺院を初めてつくり出し,百済宮の造営もあわせて行われた。…

【大安寺】より

…南都七大寺の一つ。639年(舒明11)十市郡の百済(くだら)川のほとりに建てられた百済大寺に始まり,673年(天武2)高市郡に移って高市(たけち)大寺と称し,677年大官大寺と改称。さらに平城遷都の際,716年(霊亀2)左京六条四坊に移転し,大安寺と名を変えた。…

【大官大寺】より

…金堂と塔の基壇を残す。《大安寺伽藍縁起幷流記資財帳》と《日本書紀》によると,617年(推古25)聖徳太子が熊凝(くまごり)村に建てた道場を起源とし,639年(舒明11)百済(くだら)川のかたわらに移建,百済大寺とするが,その後,673年(天武2)高市郡に移し,高市(たけち)大寺と改号する。さらに677年大官大寺と改め,飛鳥寺,川原寺,薬師寺とともに,藤原京内の四大寺となる。…

【仏教】より

…推古天皇はその在位中,みずから寺を建てることも,宮廷内で仏事法会を営むこともなく,天皇自身は異国の神である仏教に対して天皇家伝統の傍観的態度で終始した。 天皇が建立した日本最初の寺院は,舒明天皇が639年(舒明11)に建立した百済大寺である。舒明天皇の2人の皇子,天智・天武両帝も仏教を積極的に受容した。…

※「百済大寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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