大和国
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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[舒明・皇極朝]
舒明朝には百済の使いが急激に増加し,百済との修好は活発化した。639年斑鳩宮に近い百済川のほとりの熊凝(くまごり)精舎の地に,百済大寺造営の詔があり,12月には九重の塔が建立された(紀)。仏教に対してなるべく中立的態度をとりつづけた天皇は,舒明天皇にいたって天皇建立の寺院を初めてつくり出し,百済宮の造営もあわせて行われた。…
…南都七大寺の一つ。639年(舒明11)十市郡の百済(くだら)川のほとりに建てられた百済大寺に始まり,673年(天武2)高市郡に移って高市(たけち)大寺と称し,677年大官大寺と改称。さらに平城遷都の際,716年(霊亀2)左京六条四坊に移転し,大安寺と名を変えた。…
…金堂と塔の基壇を残す。《大安寺伽藍縁起幷流記資財帳》と《日本書紀》によると,617年(推古25)聖徳太子が熊凝(くまごり)村に建てた道場を起源とし,639年(舒明11)百済(くだら)川のかたわらに移建,百済大寺とするが,その後,673年(天武2)高市郡に移し,高市(たけち)大寺と改号する。さらに677年大官大寺と改め,飛鳥寺,川原寺,薬師寺とともに,藤原京内の四大寺となる。…
…推古天皇はその在位中,みずから寺を建てることも,宮廷内で仏事法会を営むこともなく,天皇自身は異国の神である仏教に対して天皇家伝統の傍観的態度で終始した。 天皇が建立した日本最初の寺院は,舒明天皇が639年(舒明11)に建立した百済大寺である。舒明天皇の2人の皇子,天智・天武両帝も仏教を積極的に受容した。…
※「百済大寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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