日本歴史地名大系 「目井城跡」の解説 目井城跡めいじようあと 宮崎県:南那珂郡南郷町中村目井城跡[現在地名]南郷町中村乙目井津(めいつ)の南西の丘にあり、池城ともいう。南北および東は岸壁で、西の野首(のくび)(野頸とも書き、また野筋とも)口から狭い道が通じ、城からは目井津を一望できる。島津氏による築城と伝え、戦国時代には同氏と飫肥(おび)侵攻を企てる伊東氏との間で争奪が繰返された。天文一四年(一五四五)一二月二八日、島津方であった当城主日高氏は城を伊東方に引渡し、島津氏から離反したという(日向記)。同一六年九月、島津豊州(忠広)の家臣日高源右衛門に謀反の企てがあると聞いた北郷忠親は、飫肥本城(現日南市)に源右衛門を召寄せ拘禁した。しかし源右衛門の親族宗善らが源右衛門を奪い返し、一一月一八日当城に逃込み伊東方に内通したという(「庄内平治記」など)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by