改訂新版 世界大百科事典 「伊東氏」の意味・わかりやすい解説
伊東氏 (いとううじ)
伊豆国伊東の豪族。工藤氏族。平安末期,伊東祐親(すけちか)が平家方として活躍。一族は各地に繁衍。著名なものに江戸時代の日向国飫肥(おび)藩主がある。1197年(建久8)の《日向国図田帳》に宇佐宮領県庄,富田庄,田島庄,諸県庄約750丁の地頭として故勲藤原衛門尉とあるのは工藤祐経の遺子伊東祐時のことと思われる。その後祐光-祐宗-貞祐-祐持と相伝,祐持は1335年(建武2)足利尊氏に属して児湯郡都於郡(とのこおり)300丁の地を与えられ,日向国に下向,同地を拠点として室町末期まで同国内に勢威をはった。これよりさき祐光の兄弟のうち,祐明は田島庄を,祐景は富田庄を,祐頼は諸県庄木脇を与えられ,それぞれ田島,門川,木脇氏の祖となった。祐頼は祐光の代官として日向に下向。その子孫祐広は南北朝初期,南朝方に属し,肝付氏らと連合して本宗家に対抗した。室町末期に本宗家に義祐が出て領域を拡大,島津氏と衝突をくり返した。1577年(天正5)島津義久と戦って敗れ,豊後に出奔,客死した。その子伊東祐兵(すけたか)は豊臣秀吉に従い,のちに飫肥の地を与えられた。子祐慶のとき飫肥藩主,維新後,子爵となる。
執筆者:五味 克夫 なお,備中岡田藩主の伊東氏は長久のとき,豊臣秀吉に仕え,その子長次(長実)が大坂の陣後,徳川秀忠に仕えて1万0300石余を与えられた。維新後,子爵。
執筆者:編集部
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