日本歴史地名大系 「相渡村」の解説 相渡村あいどむら 広島県:神石郡神石町相渡村[現在地名]神石町相渡高光(たかみつ)村・永野(ながの)村の北に位置する高原状の村。東は帝釈(たいしやく)川を挟んで三坂(みさか)村(現比婆郡東城町)、北は比婆郡未渡(みど)村(現東城町)。西北部を西城路が、東南部高光川沿いを東城(とうじよう)への道が、いずれも東北方向にほぼ平行して通り、これを東西の道が結ぶ。東北端の帝釈川ほとりに帝釈峡遺跡群の一、幕岩(まくいわ)洞窟遺跡(縄文―弥生)がある。南西の古川(ふるかわ)境には相谷(あいたに)古墳がある。帝釈峡を隔てた未渡との対比から次のような地名起源伝説がある。昔、帝釈の御神(おんがみ)山にかつて海賊だったらしい一味がいて悪業の限りを尽した。帝釈天はこの怪力を善用しようと谷に橋を架けることを命じた。陰陽の二組に分れて競争したが、弱いはずの陰組が先んじて相渡せりと勝鬨をあげ、陽組がまだ渡せずといって敗北を認めたというのである。帝釈峡を挟んで石灰岩層が浸食によってくり抜かれた雄(おん)橋・雌(めん)橋などの名勝があり、雄橋は長さ七〇メートル・幅一八メートル・高さ四〇メートルで、世界三大自然橋の一つともされる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報