相良城跡(読み)さがらじようあと

日本歴史地名大系 「相良城跡」の解説

相良城跡
さがらじようあと

[現在地名]相良町相良

萩間はぎま川の右岸にある。「高天神記」によれば、天正四年(一五七六)武田勝頼が高天神たかてんじん(現大東町)攻略の際に武器や食糧を運ぶため、高坂弾正に縄張りさせて築いたのが最初で、相良古城ともよばれる。位置は現在の相良町役場と相良中学校の敷地辺りとされ、天正九年高天神城の落城後、徳川家康に攻略され落城した。家康は相良古城を修復して相良御殿とし、鷹狩の根拠地としたという(城下町相良区史)。「相良史」では相良御殿の造営は慶長七年(一六〇二)とされる。御殿造営に前後して相良三町が成立したが、相良御殿は元和二年(一六一六)の家康没後しだいに荒廃し、寛永四年(一六二七)には畑地になったという(同書)。宝永七年(一七一〇)本多忠晴が三河国伊保いぼ(現愛知県豊田市)から一万五千石で入封、相良藩が成立した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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