専順(読み)せんじゅん

精選版 日本国語大辞典 「専順」の意味・読み・例文・類語

せんじゅん【専順】

室町中期から後期にかけての連歌師。号は柳本坊・春楊坊。京都六角堂頂法寺の僧。法眼位。連歌池坊の祖。連歌七賢の一人。合理的な趣向を細緻な技巧で表現し作風で、晩年弟子宗祇がいる。著「片はし」「専順五百句」など。応永一八~文明八年(一四一一‐七六)。

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デジタル大辞泉 「専順」の意味・読み・例文・類語

せんじゅん【専順】

[1411~1476]室町中期の連歌師。京都六角堂頂法寺の僧で、宗祇そうぎの師といわれる。「新撰菟玖波集」に108句が入集。著「片端かたはし」「法眼専順連歌」など。

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改訂新版 世界大百科事典 「専順」の意味・わかりやすい解説

専順 (せんじゅん)
生没年:1411-76(応永18-文明8)

室町中期の連歌師。京都六角堂の僧。30歳代半ばより《文安月千句》《文安雪千句》に名を現し,《初瀬千句》《小鴨(おがも)千句》などがある。応仁の乱で美濃守護代斎藤妙椿(みようちん)を頼り,春楊坊を結庵,その地で没した(戦乱犠牲か)。晩年には宗祇が師事し,《美濃千句》《表佐(おさ)千句》がある。《新撰菟玖波集つくばしゆう)》中,心敬,宗砌(そうぜい)についで連歌師では第3位の入集句数。連歌論書に《片端(かたはし)》などがある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「専順」の意味・わかりやすい解説

専順
せんじゅん
(1411―1476)

室町中期の連歌師(れんがし)。京都六角堂頂法寺の僧。春楊坊(しゅんようぼう)と称した。連歌の師は明らかではないが、宗砌(そうぜい)、智蘊(ちうん)らと共通の世界にいて連歌を学習していったらしい。参加した連歌作品は1443年(嘉吉3)ごろからみられるが、かならずしも多くはない。しかし、弟子である宗祇(そうぎ)には重んじられて、『新撰菟玖波集(しんせんつくばしゅう)』には108句入集し、心敬(しんけい)、宗砌に次ぐ位置を占めている。平易なようで深いところがある作風と心敬に評価されている。著作に『片端(かたはし)』、句集に『法眼専順連歌』がある。なお、華道家元池坊(いけのぼう)では26世とし、立華、砂物、生花の三体を立てたとされる(池坊由来記)。

奥田 勲]

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朝日日本歴史人物事典 「専順」の解説

専順

没年:文明8.3.20(1476.4.14)
生年:応永18(1411)
室町時代の連歌師。柳本坊,春楊坊とも号す。頂法寺(六角堂)の僧で法眼位にあった。華道家元池坊では26世とする(『池坊由来記』)。嘉吉・文安年間(1441~49)から活躍しはじめ,高山宗砌没後は連歌界の第一人者と目された。足利義政主催の連歌会に頻繁に参加し,飯尾宗祇を指導して大きな影響を与えてもいる。応仁の乱後は美濃国(岐阜県)に下り,守護代斎藤妙椿 の庇護を受けた。連歌は「濃体」と称される内容の深い円熟味のある句風で,連歌論書に『片端』,自選付句集に『専順五百句』がある。その死因はあきらかではなく,殺害されたともいわれる。

(伊藤伸江)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「専順」の意味・わかりやすい解説

専順
せんじゅん

[生]応永18(1411)
[没]文明8(1476).3.20. 美濃
室町時代の連歌作者,華道宗匠。法眼。京都六角堂頂法寺の執行。池坊に住した。宗祇の『竹林抄』にいう七賢の一人で,『新撰菟玖波 (つくば) 集』にも多数入集。連歌論書に『片端 (かたはし) 』,句集に『専順五百句』 (1467) ,『法眼専順句集』がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「専順」の解説

専順 せんじゅん

池坊専順(いけのぼう-せんじゅん)

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