デジタル大辞泉 「大洞院」の意味・読み・例文・類語 だいとう‐いん〔‐ヰン〕【大洞院】 静岡県周智郡森町にある曹洞宗の寺。山号は橘谷山。応永18年(1411)如仲天闇が開創し、梅山聞本が開山。戦国時代以降、東海地方へ教勢を拡大する拠点となった。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
日本歴史地名大系 「大洞院」の解説 大洞院だいとういん 静岡県:周智郡森町橘村大洞院[現在地名]森町橘橘(たちばな)地区北東部にある。橘谷山と号し、曹洞宗。本尊は地蔵菩薩(麻蒔地蔵)。応永一八年(一四一一)如仲天が師である梅山聞本(越前竜沢寺開山・能登総持寺一一世)を勧請開山として開創した寺院で(天正一二年七月七日「大洞院鐘銘」大洞院旧蔵)、初め大洞庵と称した。応永二二年一二月一八日の梅山聞本置文(竜沢寺文書)には、越前国簾尾(みすのお)(現福井県金津町)竜沢(りゆうたく)寺の次期住持第二席として「遠江大洞庵 天首座」の名が書かれている。正長元年(一四二八)八月一五日に造られた当院の梵鐘銘には「一宮庄大洞禅庵住持比丘天」「檀越沙弥玄本 施主沙弥聖有」などとあり(大洞禅院大鐘銘写「当山室中宝蔵記」崇信寺蔵)、沙弥玄本は遠江守護代甲斐将久(常治)の家人大谷豊前入道玄本である(御前落居記録)。永享九年(一四三七)一月二五日、如仲は置文を書き、当院の住持は以後輪番制とすることを定め、国人武藤氏(一宮庄地頭)の寄進は断り、越前小布施氏を本願檀那とするようにと命じた(「如仲天遺命」当山室中宝蔵記)。如仲の弟子のうち喜山性讃・真岩道空・不琢玄珪・石叟円桂・物外性応・大輝霊曜の六人は大洞院六派の祖といわれ、彼らとその門流は多くの寺を開いた。 大洞院だいどういん 茨城県:稲敷郡河内村金江津村大洞院[現在地名]河内村金江津 中金江津万年山と号し、曹洞宗。本尊は如意輪観音。開山は天岩梵祝。寺伝によると当寺の草創は江戸崎城(現江戸崎町)城主土岐信濃守頼次の次男春若丸が、土岐氏代々が尊信する祥鳳(しようほう)院(現千葉県成田市)四禅師によって仏門に入り、天岩梵祝と称し、慶長五年(一六〇〇)大島(おおしま)に一宇を建立したときという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報