満済准后(読み)まんさいじゅごう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「満済准后」の意味・わかりやすい解説

満済准后
まんさいじゅごう
(1378―1435)

「まんぜい~」ともいう。室町時代の真言(しんごん)宗の僧。二条家の庶流今小路(いまこうじ)家の出身。系図では師冬(もろふゆ)の息となっているが、自身の記すところによれば師冬の父基冬(もとふゆ)の息。足利義満(あしかがよしみつ)の猶子(ゆうし)として醍醐寺(だいごじ)に入り、三宝院実済(さんぼういんじっさい)の弟子として得度(とくど)、報恩院隆源(ほうおんいんりゅうげん)(1342―1426)にも師事した。1395年(応永2)醍醐寺73代座主(ざす)、1409年東寺(とうじ)125代長者となり、1428年(正長1)には三宝院門跡(もんぜき)としては初めて准后(皇后皇太后太皇太后に准ずる待遇を受ける)になった。1433年(永享5)座主を義賢(ぎけん)(1399―1468)に譲り、法身院(ほっしんいん)に退隠したので「法身院准后」ともよばれる。足利義満・義持(よしもち)・義教(よしのり)の3代の将軍信任が厚く、ことに1428年義持が後嗣(こうし)を定めず没したのち、天台座主であった義満の息義円(ぎえん)を還俗(げんぞく)させて将軍義教を誕生させることに尽力し、幕政にも深くかかわり、「黒衣宰相」とよばれたこともある。京都土御門万里小路(つちみかどまでのこうじ)にも坊をもち、ここで将軍の諮問に応じたりしたので、「将軍門跡」とよばれることもある。1411~1435年の日記『満済准后日記』(『法身院准后日記』ともいう)が残っている。

[桑山浩然 2017年10月19日]


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