真壁間切(読み)まかびまぎり

日本歴史地名大系 「真壁間切」の解説

真壁間切
まかびまぎり

現糸満市の中央部にあたる。北は高嶺たかんみ間切、東は具志頭ぐしちやん間切、南は摩文仁まぶい間切・喜屋武ちやん間切と接し、西は海に臨む。島尻方一五間切の一。里積記によると首里城から真壁まかび村間切番所まで三里七合五勺六才(三里二七町余)。「おもろさうし」巻二〇の二三に「一 まかひたらひよもひ(真壁の太郎日思いは)/ゑかうに きやかおかう なして(笑顔に 輝くお顔を 並べて)/又 大さとのてたよ(大里のテダ〔日子〕よ)/さくらいろのてたよ(桜色の〔美しい〕日子よ)」とみえる。また同巻の二四に「一 まかひおわる ね国おわる よのぬし(真壁におられる 根国におられる 世の主)/もゝしま しまうちちへ とゝやけれ(百島の島を討って 平らげよ)/又 まかひ人 ゑらひよわちへ(真壁人を選びたまいて)/又 おきて ゑらひよわちへ(掟を選びたまいて)/又 なはみなと はしわたちへ みちへ わたちへ(那覇湊に橋をわたして 道をわたして)/又 なは わたて いなそみねよとしよわ(那覇を渡って稲嶺で休みたまえ)」とある。真壁人が百島を平定し、那覇湊にも橋を渡して往来すると謡われ、南山王の気概を示している。

絵図郷村帳では「島尻まかひ間切」とあるのをのちに「真賀比間切」に朱で訂正している。琉球国高究帳には島尻真加比しまじりまかび間切とある。寛文八年(一六六八)の琉球国郷帳では真加比間切、「琉球国由来記」には真壁間切とある。絵図郷村帳には当間切に属する「まかび」・「あがるい」・前平めーでーら喜名ちなー中間なかまの五ヵ村がみえ、海に面していない村で構成される。のちの間切境の変更により兼城かにぐすく間切から新垣あらかち伊敷いしきの二ヵ村、高嶺間切から小波蔵くわんぐわ名城なーぐすく糸洲いちゆじの三ヵ村の合わせて五ヵ村を入れ、前平村を真栄平めーでーら村に、中間村を名嘉真なかま村に改称喜名村摩文仁間切に出し安里あさとう村を新設して、真壁・名嘉真・東江あがりー・真栄平・新垣・伊敷・名城・小波蔵・安里・糸洲の一〇ヵ村となったが(琉球国由来記)、のちに名嘉真村を真壁村に統合し、東江村宇江城うえぐすく村と改称した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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