高嶺間切(読み)たかんみまぎり

日本歴史地名大系 「高嶺間切」の解説

高嶺間切
たかんみまぎり

現糸満市の中央部にあたる。北は兼城かにぐすく間切、東は東風平くちんだ間切、南は真壁まかび間切と接し、西は海に臨む。島尻方一五間切の一。里積記によると首里城から屋古やく村番所まで三里四勺二才(三里一町余)。琉球国高究帳や寛文八年(一六六八)の琉球国郷帳では島尻大里しまじりうーざとう間切とあるが、康熙六年(一六六七)一月一九日に同間切惣地頭按司(御殿)家名を高嶺に改名(向姓正統玉城家家譜)。改称後も郷帳類や異国船漂着届など幕府へ提出する文書では島尻大里間切としている(「御条書写」琉球評定所書類)

「おもろさうし」巻二〇の三一に「一 大さとのけすの(大里の下司の)/おもひあち(敬愛する按司が)/かみてたよ(神てだ〔日神〕を)/つほこしやり ちよわれ(相手にしてましませ)/又 しましりのけすの(島尻の下司が)」とある。同巻の三三に「一 大さとは みきくに(大里は神酒国)/ゑけ よそわて ちよわれ(エケ 世を支配して ましませ)/又 大さとのさけくに(大里の酒国)」とみえ、大里が神酒や酒を出す豊かな所であることを誇っている。同巻の四三には「一 あかこか ねはのこか(阿嘉の子が 禰覇の子が)/もゝちやらの ふれおもいてた(百按司が群れて思うてだ)/又 大さとは さとからる(大里は里からこそ)/又 かてしかわ みつからる(嘉手志川〔樋川〕は水からぞ)」とある。大里は里が良いから、嘉手志川かでいしがーの水が良いから多くの按司に思われるのだと謡う。

正保国絵図をはじめ元禄・天保の国絵図、各郷帳には「嶋尻大里間切」と記載され、正保国絵図にはシマジリヲホザトマギリと読みが振られている。絵図郷村帳では与座ゆざ屋古やく国吉くにし古波蔵くわんぐわ・なぐすく・いとす、わたりきな・ける・神里かんざとう・くひり・中間なかま(以上五村は享保二一年には「当時無之」)の一一ヵ村がみえる。のちの間切境の変更により兼城間切から中城なかぐすく崎中城さきなかぐすくの二ヵ村を入れ、小波蔵くわんぐわ名城なーぐすく糸洲いちゆじの三ヵ村を真壁間切へ出し、わたりきな・中間を屋古に統合した。のちに中城真栄里めーざとうに、屋古は大里うーざとうに改称し、与座・大里・国吉・真栄里・崎中城の五ヵ村となり、更に崎中城を真栄里に統合して四ヵ村となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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