真瀬村
ませむら
鍋沼新田東南、西谷田川西岸に位置。村域の山田遺跡は集落跡で縄文中期の土器が出土。真瀬新田谷津遺跡は集落跡で縄文早―後期の土器が出土。元和二年(一六一六)谷田部藩細川氏領となったが元禄一二年(一六九九)天領となって廃藩置県に及び、寛政五年(一七九三)には竹垣直温が代官となった(竹垣君徳政之碑)。「各村旧高簿」によれば明治元年(一八六八)の村高は一四六四・〇五八石。村内は本田・上新田・下新田・原新田・谷津・鎌倉の六坪に分れ、南方の小張村(現伊奈村)より当村を経て北方の筑波に達する江戸筑波街道(笠間街道)の街村として「真瀬の宿駅」といわれるように宿場の機能を有していた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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