子游(読み)シユウ

デジタル大辞泉 「子游」の意味・読み・例文・類語

しゆう〔シイウ〕【子游】

[前506~?]中国春秋時代学者孔門十哲一人江蘇省)の人。姓はげん、名はえんに仕えて武城の長官となる。

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精選版 日本国語大辞典 「子游」の意味・読み・例文・類語

し‐ゆう‥イウ【子游】

  1. 中国、春秋時代呉の儒者。姓は言。名は偃(えん)。子游は字(あざな)孔子弟子。十哲の一人。孔子に主として礼楽を学んだ。「礼記」にその所説が見られる。(前五〇六頃‐前四四五頃

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「子游」の意味・わかりやすい解説

子游
しゆう
(前517/前507―?)

孔子(孔丘(こうきゅう))の弟子。姓は言(げん)、名は偃(えん)。子游は字(あざな)。呉(ご)の人(あるいは魯(ろ)の人)。四科十哲の文学にあげられる。孔子に受業ののち、魯の武城(ぶじょう)(山東省)の宰(さい)(長官)となり、礼楽をもって治めて、武城弦歌の誉れがあり、また孔子の弟子となった澹臺滅明(たんだいめつめい)をみいだした。『孟子(もうし)』には、子夏(しか)・子張(しちょう)(前503―?)とともに有若(ゆうじゃく)(前538ころ―前457ころ)を孔子の後継に推そうとして曽子(そうし)に反対されたとある。礼の形式を重んずる客観派の一人であるが、また『論語』子張篇(へん)では、子夏の門人が形式主義であると批判し、「喪は哀を致(きわ)めて止む」などともいっている。

[宇野茂彦 2015年12月14日]

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改訂新版 世界大百科事典 「子游」の意味・わかりやすい解説

子游 (しゆう)
Zǐ yóu
生没年:前506-?

中国,春秋時代の人。孔子の門人で十哲の一人。姓は言,名は偃(えん)。子游は字である。孔子の推挙で武城(山東省)の町長となり,天下を治めるのと同様に礼楽を用いたので,孔子が〈鶏を割くにいずくんぞ牛刀を用いんや〉と,たわむれたという。この話からもうかがわれるように,子游は礼を重んじ,子夏の学派が礼の形式に流れたのに反して,礼の精神を強調した。彼とその学派の思想を知りうるものとして《礼記(らいき)》の曲礼や礼運,郊特牲など数編がある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「子游」の意味・わかりやすい解説

子游
しゆう
Zi-you

[生]前506
[没]?
中国,春秋時代の儒家。孔子の弟子。十哲の一人。呉 (江蘇省) の人。姓は言,名は偃 (えん) 。子游は字。魯国の武城の宰となり,善政を行なった。子夏とともに文学にすぐれていたとも,礼に通じていたともいう。

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世界大百科事典(旧版)内の子游の言及

【四科十哲】より

…政事には冉有,季路。文学(学問)には子游,子夏〉と見える。徳行,言語,政事,文学の四つのカテゴリーは孔門の四科と呼ばれ,後世,人間の才能の表現のうち,最も重要なものとされる。…

※「子游」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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